2011年5月31日火曜日

一年もかかってわかったこと

マスターでの授業もほぼ終わり、
残りはinternshipとthesisのみになったわけで
その中で一点強烈に思い知らされたことについて
ツラツラ述べたいと思います。

マスターの一年もかけてやっとわかったことが
「自分に何ができるか
それを明確にすること」

至極当たり前のことです。
本当に単純なことなんです。誰でも多かれ少なかれ意識してる
こんなことにようやく気付けたのです。

日本から出るときには残念ながら理解できてなかったことだったんです。
というか無意識にしていて、できていたことだったんです。

こっちにくるときは英語で専門分野について
十分に議論できるようになりたい、
それくらいにしか考えられなかった主な目的。
ほんとsuperficial。

そして今学期。
discussionベースの授業の中でようやく気付いたのが
議論ができることは前提条件。
それ以上の説得力や表現力等の要素が差別化の要素。
私の目的は出来て当たり前のことだったのです。

それに気付いてからはもうとにかくそのスキルをどうにか手に入れようと
あれこれというほど多面的にアプローチしてませんが、
もがいてみたわけです。
でも結局うまく言葉を出せなかったり、選べなかったり。
色々自分の中で起きる障害を克服できない日々が続いたのです。

そして残念ながら、英語が母国語の人間や
言語そのものが似通ってるドイツ人やオランダ人
彼らと表現を争っても現状勝てない。
まだまだ経験が足りなすぎる。
そういうことを感じたのです。

事実、今期を通してそれなりにしゃべれるようにはなってるんです。
まぁ、完全な主観的な評価なので勘違いの可能性は多いにありますが。

でも、このインターナショナルな環境の中、やっと気付いたのが
雄弁に語って自分の意見を通せるようになることだけが
海外で学べることでない。
彼らに追いついて追い越すことに
主眼を置くのはセンスレスだと思ったんです。

追いつくことは非常に重要、
というか最低条件のようなもので、
その先にある
「彼らになくて、自分にあるものを見つめ直し、そこに磨きをかける。」
その点を見出せる、気付けるかが重要であることに
やっと気付けたんです。
一年もかかってやっと。

日本にいるときは少し英語ができるからっていうので
なんだかんだでそこに自分の価値を置いてる自分がいました。

でもそんなのこっちにきたらなんの値打ちもない。
それよりも別の手持ちの札に気付いて活かせるか。
そこが最も重要。

今自分がどういう場所にいて、
そこにはどういうことがあって何がなくて。
そういう状況を判断、把握する力を養うこと
それが最も必要なことなんじゃないかって。

どこにいてもきっと同じ。
他人にはできない自分ができることに力を入れる。

もちろん穴を埋めることも同時に行う。

ただ、フォーカスは自分の輝けるフィールドを見つけてそこを伸ばす。
フィールドが見つからないうちはとことん穴を埋める。
そしてフィールドが見えてくるのを待つ。

なんかそんなことを感じたのです。

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