2012年7月12日木曜日

便利なジョーホー

情報が世の中に溢れかえって久しい昨今。
それらをどう得てどう付き合うかが大きなトピックの一つに
なってるかと思います。

例えば我々がほぼ毎日使うネット検索では
ユーザーが必要とする情報にいかに正確に早く辿り着けるか。
そういった改善が日々されてるそうな。

具体的な例としては
女性がweightってタイプしたときには
ダイエットにまつわる情報が真っ先に来て
男性がweightをタイプした際には
増やす方の情報や関連商品が出て来るとのこと。

こういったユーザーの嗜好を検索エンジン側が判断し
それに基づいて情報を提示してくれてるわけです。

最近ではニュースについても
自分の嗜好に合わせたものを提示してくれる
便利なサービスもあるのだとか。

こういった氾濫した情報の中で個々人が必要とするそれへ
辿り着けるような便利なツールは益々増えていくかと思います。
ただ、これらの便利さには注意が必要だと思うのです。

先日たまたま見た動画の中で世界と日本の中を旅した中田英寿が
日本と世界の違いについて述べていた部分に非常に共感したのです。
「日本はすごく便利。だから考えることをあまりしない人が多いんじゃないかな。
これはおそらく自分を含め、大部分の人にあてはまるような感覚でいます。


利便性が高い状態に慣れてしまうことで
その恩恵であったりそれのシステムについて考えなくても良くなり
日常的に思考力を要求しない状態が普通になってしまってきていると思うのです。

また、情報についても同様で
あまりにも多い情報の中、自分の嗜好にあったものだけを取捨選択し、
同じ単語を検索してるにも関わらず違った検索が結果が出て来るというような
無意識的に趣味嗜好に合っていることを理解しないでいる状態で居続けると
多様な意見や見方を受け入れられなくなっていく危険性が高まるという
見識もあるとのことです。

本来は情報がたくさん提供されることによって
多面的にある事象を捉えられるにも関わらず
溢れ過ぎた結果その逆を行ってしまう危険性がある。
便利になり思考しなくなった結果、
それら危険性が存在することを考えなくなったときが
もっとも危険であるのだとか。

また、主体的にインターネットを通して調べた情報が
自分の嗜好に近いようなそれを提供されるとなると
一体どうすれば信用に足る情報を得ることができるのか。
そのファジーさがチャンネルが増えれば増えるほど
増大していくというのです。

この他、情報の議論についてはその発信源を含め
こうしたインターネットの普及がもたらした現代社会の課題を
社会学専攻の友人との話したのがすごく参考になったのでした。

入ってきた情報についてそれが絶対的な真実である
とは捉えちゃいけない。
こういったことがあるから、こういう可能性がある、
といったことを頭の片隅にでも置いておくことが
これからより便利な世の中になっていく上で
最重要になってくるのではないかと思うのです。