2013年11月21日木曜日

沈み行く町

キルナという町。
俺自身はスウェーデンに来るまでは聞いたことがなかった町。
でも日本ではオーロラの見れる町として知られている模様。
そんなキルナを現在受講中のセミナーコースを通して知ることになったわけです。

キルナという町は北極圏にあり
面積20000km2ほどで
人口は24000人程度。
人口密度1.2人/km2は
EUの定義によれば過疎地であるとのこと。

こんな北極圏にある過疎地がなぜコースで取り上げられたかというと
この町は今町自体を移転しようとしているからなのです。
そしてその移転に向けて色々な研究や実践が行われている模様。

そのうちの一つとしてあるのが
北極圏でのサステナブルな都市のあり方の検討。
キルナは他の欧州地域と比べ
暖房需要も圧倒的に必要かつ
日照時間が暖房需要が最も高い時期に
ほとんどないという特殊地域。
そういった都市のエネルギー含め
様々なインフラが抱える問題の解決に向けた取り組みが
行われている場所がキルナ。

しかし、そもそも何故このような町の移転を行っているのかというと
町がある問題を抱えているからなのです。
その問題とは
町が沈んでいっているから。

このキルナという町には実は重要な産業があり
それは鉄鉱業。.
すなわち鉱山があるのです。
そしてキルナという町の起源が
この鉱山がきっかけなのです。

現在キルナがある地域に鉄鉱山が存在するというのは
実は昔から知られていたらしいのですが
いざ町を作ろうとなったのが
1900年前後のお話。
そしてその当時の知識をふんだんに活用して
鉱山を産業の中心に据え
そこでの労働者たちの生活を豊かにする
都市設計を行ったという歴史がある町。

ところが2000年代に入って町の南の方で
地面が沈み込むという事象が見られるようになったとのこと。
その他町にあった湖が縮小していったり。
これらの原因が鉱山なのだというのです。

採掘当初は露天掘りだったキルナでの鉱業が
時代を経る毎に地下へ地下へと掘り進んでいったそうな。
そして今では地中に労働者のためのレストランだったり
掘削道具のメンテナンスや備品を販売する店や
地下での作業環境向上のための人工の日光を設けるなどといった
軽い地下都市を築き上げているそうな。

この地下へ地下へと伸びて行く鉱山の存在が
町を沈下させている原因であり
町の移転を図る理由が
鉱業を続けていくことが前提であるからなのです。

僕はこの事実に驚ろきを隠せませんでした。
倫理的な観点で果たして是とされるのか否か。

たしかにこのキルナの主要産業は鉱業であり
このキルナは鉱業のために作られた町という経緯はあります。
仮に鉱業を政府が停止させたとしたならば
この町から住人が離れて行くのは必至。
そうなったら町の存続にも関わり
結果的に人々は移動せざるを得なくなる。
ならば計画的に移転を図ることを正当化できなくもない。
そしてその移転計画をsustainableなものに、としていて。

たしかに筋が通ってなくもないことはたしか。
でもどうにも腑に落ちない感覚もあって。
取り組み全体に対しての違和感。
ほんとにこの場所での鉱業を続けなければならないのか。
近隣地域で代わりになり得る場所はないのか。
他の産業の育成に努められないものなのか。

sustainable city in arctic zone
これを産業のソースにしようと画策しているのかもしれない。
でもこの取り組みの根底を知ってしまった今
sustainabilityという言葉のこの扱われ方に
とてつもない違和感を感じるのでした。

午前11時に見るキルナの木造教会

2013年10月19日土曜日

アニメやマンガやファッションなど

自分が日本人だ、というと
日本食が好き!(だいたい寿司)
という反応と同じくらいに多いのが
マンガ・アニメの話。

初めてドイツの語学学校に通った5年程前に
10代のシンガポール人とイタリア人の子たちと
「ワンピースとブリーチが大好きなんだ」
という話から始まった記憶が。
ただ私自身が読んだことないので話が進まずに
終了はしてしまったんですが。
この二作品に関しては、日本に興味を持つ
90年代生まれの人に多いように
体感してます。

一方で80年代の人たちからは他の作品の認知度が高く
特にキャプテン翼はほんとに色んな国の人たちが知ってます。
アルゼンチン等では翼くんがOliって名前になってるとか
イランでは翼くんのままだとか。
他にも日本で70年代に放映されてであろう
私が知らない作品を彼らが知っていることが少なくはないんです。

また、ファッションについても日本は印象的のようで
原宿の振り切ったスタイル等の認知度が高い一方、
日本って色んなスタイルがあるよね、
という認識を持っている人もいて。
そしてそれらに対して好感を持つ人も少なくないようで。

サイズ的な理由で日本で購入した服しか着てない私が
「そのズボンどこで買ったの?」とバーで聞かれたり
町を歩いてる際に「そのズボンいいね」って言われたり。
他の色んな日本人の友人もそういった経験があるようで。

ここまでの三例を長々と書いて何が言いたいかというと
日本の持つこれらのソフト面の強さをこちらに来て
しかも大陸の中の最大都市ではない場所に来て
実感するのです。
これらのソフトサイドが
自分の生活を楽にしてくれたことが
多々あるのです。

会話のネタになってくれたり
自分に対して、会話する前から好感を持ってくれていたり
様々な面で助けになっているのです。

昔ある総理の秋葉原にアニメの殿堂を作るという
考案が批判されたことがあったかと思います。
事実、私自身も批判する側でした。

しかし、今になってわかったのです。
これらは日本の強みであると。
そしてこのユニークさをうまく育むことが
これまでの日本が辿って来た道とは違う
例えば観光業の発展に繋がって
進んでいくことができるのだろうなぁと
日本の外にいる部外者としては思うのです。

2013年10月18日金曜日

元気です。

久々更新。
わたしは元気です。

最近2人くらいに
「今どこで何してるの?」
と聞かれてそういえばそのことについて
書いてなかったなぁと。

三年間生活したスイスに7月末にお別れを告げ
スウェーデンのチャルマース工科大で
PhD、始めました。

目指せハカセ。
ドクターコーノ。

スウェーデンでのPhDはスイス同様
お給料をもらいながら学位の取得を目指します。
ただし、条件はスイスの方が良いようです。
でも、スウェーデンの大手の技術系の会社の
修士卒の新卒と同等額が支給されてるようです。
いい身分です。

今のポジションについてから一番変化したなぁと
感じるのがお金の話をたくさん聞くという点について、です。

企業とのコラボ
他大学とのコラボ
政府系のプロジェクトへの参加
全てファンディングがメインのトピック
そんな席に参加することが圧倒的に増えました。

自由に研究をするにはそのための資金が必要。
その資金を得るためには
研究にその価値があることを示すことが必要。
故にセールス力が非常に重要になってるみたいです。
だからそういった関連のトピックが話し合われることが多いようです。

とんでもない額のファンディングを得た経験を
周りにシェアしてることが多いので
色々と勉強になることはあるんです。
タクティカルだなぁ、とか
ここはがっつかないのかぁ、とか。
でもまだ自分にはアンリアルすぎて。
多くの話が右から左へ、です。

そんなお金の話をたくさん聞きながら
自分の新たな研究分野にどっぷりつかりつつ
いろんなことに悶々としながら
夜が長くなってきて寒くなりつつある
スウェーデンの西にあるヨーテボリで
元気に暮らしているドクターコーノ(予定)なのでした。

2013年8月25日日曜日

スイス対スウェーデン

時間が過ぎるのはあっという間で。
スイスを去って4週間。スウェーデンに来て4週間。
名前も近いようなこの二つの国で思うことは
現状スイスの勝利だということです。
色んな意味において。

まずは言語。
スウェーデン人の英語のfluencyは高い、
ということで期待はしていたのですが
結論としてチューリッヒの方が高いと感じてます。
まぁここはヨーテボリなので
ストックホルムに行けばまた話は違うのかもしれないんですが。
それでも大学の職員の方と話している感じであったり
書類やウェブサイトの言語設定がスウェーデン語のみだったり
スイスにいた時よりも遥かに現地語の必要性を感じてるわけで。
そういった意味でもスイスの国際化が進んでいるということだった
ということなのでしょう。

次にサービスの質。
決して感じがよくないスイス、チューリッヒのサービス。
しかしかなり信頼性が高く、比較的フレキシブルだったわけで。
一方スウェーデン、ヨーテボリでは
店員さんの感じは非常に良いし親切。
ただ、頼りない感じで色々ものごとが進まない。
そして融通も利かない。
要求しているものが手に入るという点で
スイスの完勝と感じてるわけです。

でもスウェーデンも完敗というわけでなく
町のもつ色んなもののバラエティは
ヨーテボリでチューリッヒに圧勝しております。
服やら小物やら食品やら。お酒はちょっと高いけど。

ただ、サービスとバラエティの点において言えば
この二国は日本、東京の相手ではないということですね。
親切で信頼性の高いサービスをしてくれる。
ありとあらゆる物が手に入る環境。
素晴らしい国、都市だと改めて思うのです。
まぁ、母国語である、という点も大きいのでしょうが。
あと東京は家が狭すぎるけど。


あっちの都市ではここがよくて
こっちの都市ではこれらがよくてってなわけで。
完璧ってのはなかなかないんでしょうな。
ヨーテボリにあるおされパサージュ


2013年6月20日木曜日

この一年、次の一年

まずはフィリピンでの5週間の総括。
初めの二日は暑さと臭いと衛生面での適応
2週間はずっと腹痛との格闘
3週目からは快適な日本食の自炊生活の開始
帰る一週間前には素敵なお店で素敵な仲間に誕生日を祝ってもらい
自分にとって全くの未知だった東南アジアを
いい意味でいろいろ体験できたと思います。

そして思えばこの25歳という一年間は
比較的色んな国に足を伸ばせたような気もする。

フランスにきゃりーちゃんを見に行き
チェコでレンタカーの窓ガラスを割られ
オーストリアで白ワインに魅せられ
日本で散財し
スウェーデンに新たなポジション獲得に出向き
そしてフィリピンで未知なる経験をし。

その間にも揉めに揉めて修論を一ヶ月伸ばして提出し
欧州各国に新しいセンサーの販売網の構築に携わり
そしてフィリピンで低所得者層向けの住宅の環境評価を担当し。

こうやって書けばなんだかそれっぽいことを
それなりにやってるように書けるようにはなってきて。
でもこの一年間でやってきたことは
その他の歳に重ねてきたそれとそう変わらなくて
むしろその前の方が必死こいて頑張ってたような。

別に手抜きをしてるつもりはないけれど
でも歯を食いしばって試練に耐えてますっ。
っていうのはなくて。

自然になってきたんですかね。
歳を経るにつれて。

年々自分の本来の成分が濃くなっていく一方で
まだまだ変わり続けていきたい気持ちもあって
だからこそ違う刺激を求めて動いていて。
でも自分の性格的には
何にでも貪欲にでは決してなく。
自分のアンテナに偶然でもなんでも
引っ掛かったものに対してのみ積極的になって。

そんな風に
この次の一年も
自分が求めたいものを
求められることが許されるならば
好きなことを好き勝手やっていきたい
そう思うのです。

2013年6月9日日曜日

活躍って。

活躍ってなんですかね。
何をもって活躍って言えるのでしょうか。

スポーツの世界では
明確かと思います。
例えば野球とサッカー。
日本国外のリーグへ移籍し
そこで結果を残す。

インテルの長友選手や
レンジャーズのダルビッシュ選手。
彼らはそのチームの核として
成績を残している。
確実に活躍していると
言えるわけで。

一方で
デュッセルドルフの大前選手や
インディアンズの松坂選手。
成績を残しているという観点では
活躍しているとは
言い切れないのかと思います。

しかし、
今までいた環境ではないところで
チャレンジしているということを
活躍と定義するならば
大前選手も松坂選手も
確実に活躍していると思います。

でも一般的にはそうは捉えられてないかと思います。

時々自分にも
海外で活躍している
といった表現を使ってくださる方がいます。
でもどうしてもそれに違和感を感じるのです。
何も成果なんて出してないので。

もちろんそう言って下さった方は
ご厚意でおっしゃってくださってる
と思うのですが
当の本人としては
その言葉を頂く度に
まだ何もできてないな
まだ帰っても何もこれをやった
って言えないなと
強く実感するのです。

自分にとっての成果とは
一体何を指すのか。
そんなことを思う
マニラの昼下がりなのでした。

2013年6月6日木曜日

はじめてのスラム

マニラ生活にも慣れて来た今日この頃。
二週間ほど前に訪れたスラムエリアで受けた
ショックだったときの話をちょろっと。

訪れたコミュニティはゴミの上に立っており
ゴミの上だけあって足場は柔らかかったのです。
弾力があるというか。
話によるとそこはNGOの協力があり、
コミュニティの再建ができつつあるエリアのよう。
故に参加したワークショップで連れて行ってもらえたみたい。
しかし、現実にはスラムと変わりなく見えたのです。

中からやっている人の視点で見ると
スラムからは脱したと言える様子。
たしかに家の骨組み等はしっかりしているようだし
水道も引かれていて。
下水道もないわけではないのです。

でも俺の視点、
先進国でしか住んだことない人間からしてみると
環境はまだまだ劣悪に映ってしまって。
そこら中にある汚水の溜まり
簡易的な下水道に詰まるゴミ
地面から露出しているゴミ。


また、人々の生活も決して貧困から脱してるとは
言い難い印象を受けました。

そんな中
そのコミュニティ内では
オーガニック野菜を栽培していたり
環境保護の名目にマングローブを植えていたのです。

そして、僕のこれまでの立ち位置は
こういった取り組みを推進する立場なわけで。

しかし、こういうコミュニティに対して
sustainabilityを掲げることについて
とてつもない違和感を感じざるを得なかったのです。
これまで自分が実現したいと思った方向性なのに。

思い描いていた理想を実現するアプローチに対して
現実が突きつけるあまりにもシビアに状況が
マングローブの植樹やら
オーガニック野菜の栽培などの
sustainabilityのトピックを
いとも簡単に滑稽に見せてしまったのです。

もっと先にやるべきことがあるのではないか。
汚水処理。
エンジニアされた電力系統。
生活のインフラと呼ばれるものの徹底的な整備こそが
その社会の発展の基礎になるはずだと痛切に感じたのです。

でも一方で
そこで発展に尽力してきて方たちは
そういう考えではないからこそ
既にビジネス的な側面に着目して
ウケがいいsustainabilityの話に手を出しているのでしょう。
彼らはもうその地域をスラムと見なしてないのだから。

単純に僕の不勉強なだけかもしれない。
もっともっとひどい環境のところはあるのかもしれない。
先日いった場所はかなりサポートが既にされているのかもしれない。

それでもなお、僕はこういうことを感じざるを得なかったのです。

2013年5月15日水曜日

そりゅーしょん


貧富の格差とはよくいったのもので
実際にそれを本当の意味で目の当たりにする機会はやっぱりなかったわけで。
そしてそれをこのマニラで感じ始めているのは貴重な経験のように思うんです。

今日訪れた大型ショッピングセンター。
多くの家族連れの客や、若いカップル等で賑わうモール内。
そこにはユニクロも名を連ねていたり
Forever 21やGuess等の欧州でよく見かけるお店があったりして。
行き交う人々の格好もおしゃれな人たちもたくさんいて。

自分が今いる場所はどこにでもある大都市のショッピングセンター
だと錯覚してしまうほど。

平日のお昼すぎの時間にも関わらず人々が積極的に物を買って行く姿に
この街の持つマーケットの大きさを感じざるを得なかったんです。
その積極的な購買層に向け更なる商品作りをしたならば
より大きな成長ポテンシャルが望めるはず、と。

ただし、その購買層が大多数なのかといえばそうでないだろうと思ってしまうのです。
フィリピンのスラムで生活する人々の数は約2400万人(2007年時)と言われていて
人々の平均賃金も日本の10分の1程度の様子。
この層に対してまだまだ何かができる余地があるように思えてしょうがないのです。

マニラにあるマカティというビジネスエリアは
日本のODAによって作られたらしく
そこには多くの高級マンションもあるのだとか。
今お世話になっているスイスの財団の職員の方々や
アジア開発銀行の方々もこのエリアに住んでることが多いんだとか。

一方で自分が泊まっているエリアの家では
シャワーで温水が全くでなかったり
便器にトイレットペーパーを流すと詰まることもあったり
というのが普通で、
汚水処理がされないまま川に放流されていたり
まだまだインフラでの改善が見込める様子。

たしかに経済を潤わせるためには購買意欲をかき立てる施設は絶対に必要。
でもそれ以上に、人々が安全に生活できるような環境があるべきだと感じざるを得ず
そうでないと、それらの施設もただのハリボテに見えてしまう気がしたんです。

このマニラきてまだ4日しか経ってない中でこれらのことが見えてきて
まだまだ色んなことがあるんだろうと思うと
残りの時間でどんだけの考えが生まれるかが
適切な表現ではないかもしれないが楽しみで。

それらの思うことに対して
何かしらのひらめきがくることを
今のボスの口癖を聞きながら期待したいと思うのです。
"We'll find a solution"

2013年5月12日日曜日

初めての東南アジア生活

私は今フィリピンはマニラに来ております。
スイスの財団が中心となって行っている
貧困層向けの環境負荷の少ない
かつ利用者のニーズを反映した家を建てるプロジェクトの
ちょっとしたお手伝いで来ております。

とりあえず第一印象は
蒸し暑い。
この蒸し暑さが嫌で日本に夏帰りたくないのに
まんまと日本の7月のような気候に浸かってしまいました。
汗が止めどなくじっとりくる感じ。
ミニタオルがかかせない感じです。

その次にくる印象は
カオス。
交通もそうですし
建物もそんな感じ。

そしてかなり印象的なのが
臭い。
かなり街のいたるところが臭いんです。
たとえばこんな街中。

あるいはこんな浜辺の夕暮れ。

どれも結構きつい汚臭がするんです。
画面からではわからなかったこの臭い。

まずはそんな初歩的なことが体感できたのは大きな財産だと思って
これから一ヶ月くらいのマニラライフを楽しんでいけたらと思います。

2013年5月10日金曜日

ワクワク感

何かを始めるときってのは面白そうっていうのが
きっかけであることが多いかと思います。
自分は割とそういう観点で選択をしている気がしていて。
少なくとも、はじめるときは。

面白そうだからとりあえずやってみる。
そういうワクワク感のもとはじめてみて
でも実際やり始めてみて体験する苦労が多いんです。
思ってたのと違う。
なんか嫌だ。

もちろん、合わないってことも多いと思います。
外から眺めてるだけではわからないことも多いので。

また、調べてみたらこういうリスクがある
こんなだけ時間がかかっても何がものになるかわからない。
など、知れば知るほど自分の興味を削がれていくことも少なくないと思います。

でも、それは決して自分が面白そうと思ったことに対して
ネガティブに感じてるわけではなく
ひとつひとつの小さい部分について思うことで。
全体を見ればすごく面白いことに向かえてるのに
目の前に実際にある小さいものにだけ注視してしまって
全体の魅力が見えにくくなってしまっていることが自分には多いのです。
せっかく自分がワクワクして始めたものなのに。

だからこそ、不安とか焦りとかに気持ちが支配されないように
ワクワクを持続する力をもっとつけたいなと
そんなことを思う25歳最後の一ヶ月なのでした。
飛行機から見えた上にも下にも雲のある図

2013年4月10日水曜日

やめる力


今日のUetlibergの山頂までを目指した壮大な散歩。
職場からその山まで一気に歩いていったのです。
結果、計2時間の散歩にはなり
膝のリハビリには十二分の負荷でした。

そしてこの散歩。
最終的には山頂まで辿り着かなかったのです。

出発当初ははっきり山頂を目指していたわけではなかったんです。
ぼんやりと山の方向へ向かって行ったわけで。
そして近付いてもなお時間的な制約で難しいだろうなと思ってはいたわけで。

しかしながらどんどん山に近付き
更には山に入ったその時点で
「てっぺんまで行こう」
そう思って最短ルートに見えた
道無き道を進んでいったのです。

日没が迫っていたことによる時間の制限と
会社帰りのその格好でそんな道を通るのは
やはりなかなかのチャレンジでした。

ぬかるんだ泥道
風化された木の橋
むき出しになった岩肌
険しい部分が進むに連れてどんどん出て来て。

そして進んでいった道がどうしても頂上へ向かっては行かず
唯一の頼りである携帯のマップが指してる現在地点と
山頂まで繋がってるはずの道が一致しておらず
道として表示されてない地点に自分が立っていたことと同時に
刻一刻と減って行く残り時間により
相当な焦りと不安を徐々に感じ始めたのです。

そういう状況で自分の方向感覚と勘を信じて進んでいったものの
まさかチューリッヒ市内で遭難するわけにもいかず
結果的に自分の辿ってきた道を戻ることにしたのです。
携帯のマップの表示としては自分のいた位置と頂上との間の距離の方が
戻る距離よりも短かったにも関わらず。

冒険心とリスク管理は非常に重要で
前者が欠ければ変化を起こせず
後者が欠ければ破滅へ繋がることもある。
そして冒険心をサポートできるのは自分を信じることだけで。
自然の真ん真ん中で、周りに誰もいない状況で
標識もなく合ってるかもわからないマップを時折確認しながら
「このまま進んでいって大丈夫なのか」
という消えそうになる自信と
山頂まで辿り着きたいという思いとの間で
やめる決断をする重要性を体感したのです。

でもきっと今度は登れる。
そうも思えたのでした。

途中でまだ余裕があった頃に取った一枚

2013年3月20日水曜日

自由に。


自由と責任。
ありきたりなテーマですかね。

守るものが増えれば増えるほど
行動することがどんどん難しくなってくる。
責任が増えれば増えるほど
一つ一つの判断が大きくなっていく。

自分ではまだ経験ができてないことだから
あくまでも想像にしかすぎないけど。

でも、そんな想像ができるからこそ
今の自分には背負うものなんて何もなく
だからこそ自由に、自分の気が向くままに進める
それが許される状況なんだと強く認識できる。

日本を発ってからのこれまでの3年近くがそうだったように
これからも誰にも迷惑をかけないのであれば
まだまだ好き勝手に生きていい。
今はまだそう思うんです。

だからもう少し
自分が進みたい方向に行ってみたいと思うんです。
色々な人に支えてもらいながら。

2013年3月2日土曜日

100%


昨日社内イベントでスノーハイキングに初挑戦。
スノーシューを初着用。
なかなか面白い体験でした。

このスノーハイキング、
一番の特徴は道のない道を歩いていくということ。
雪がある場所ならどこでも歩いて行く感じ。
ゴールに向かってただひたすら自由に歩いて行く。
この自由度の高さがスノーハイキングの最大のチャレンジであり魅力に思ったのです。
そしてそれがなんだか人生とアナロガスに捉えられるようにも思えて。

今回のスノーハイキングは元々はゴール地点を定めずに
ただひたすら雪原を歩くことを目的に出発したんです。
それがみんながキープアップしていることや
どんどん山の上へ登って行くにつれ
頂上をどんどんぼんやりと目指すことになり
そのためのルートを模索しながら歩いていったわけです。

どこをどう通るべきか
みんなの体力的にどのパスが最適なのか
果たして頂上まで行くことを目標としていいのか。
色んな判断要素を鑑みた中で自分たちで全て決定する。

この自由度の高さが
自分の本質的な部分をあぶり出してくれたように思ったのです。

自分が日頃から感じている自分の欠点の一つは詰めの甘さ。
今回のスノーハイキングでも頂上到達間近でそれを実感したのです。

それは、当初峰だと思って辿り着いて部分が実はそうでなく
そこからさらに頂上を目指そうとチームがなったとき
自分のやる気が一気に低下したのです。

すなわち山の頂上付近に到達した時点で満足してしまい
真の山頂まで目指すという意志を欠いてしまったということ。
別の言い方をすれば自分が想定していた100%が
実は80%であったと認識したとしても
そこからさらに100%を目指すという意志を欠いているんです。

「大体」できてればOK。
そういうスタンス。
そしてこれは実に俺らしいスタンスであるんですが
それをどうにかしたいと思ってもいる。

自分の設定しているある一定のレンジまで辿り着くためには
必死に突き進むだけの精神的な体力はあるものの
そのハードルの低さで最後のもうひと頑張りで得られる何かを損している。
そしてそれも自覚できているんです。
それでもなかなか直らない。

でも、チームに導かれて新の山頂から見る景色は
やっぱり80%の地点で見たそれとは違って。
違うんだろうということも理解はできているつもりなんですが
やはりそう簡単には自分の甘さは直せない。

ただ、もしかすると
こういうてっぺんまで到達する経験を増やせば増やすほど
自分の中での甘さも直せるのかもしれない
そんな淡い期待を抱かせてくれるようなスノーハイキングなのでした。
山頂からのグラウビュンデン周辺の景色